学生時代「社会に出れば何でも出来るんだから」いざ社会人「なにもできねぇ」
私が学生のときによく言われていたことが
「社会に出ればなんでも出来るんだから今しなくても良いでしょ?」
ということだ。
でも社会に出た今、出来ないことのほうが増えた気がする。今回はそんな記事です
私が学生のころ
とにかくやる気がなかった気がする。外見を飾ることばっかりに気をとられていたような気がする。でも友人と遊ぶことにかけてはスーパーアクティブだった気がする
髪を染めたり、太い学生ズボンWWWなんかはいちゃったり、今考えるとなんという恥ずかしいことをしていたんだろうと思う
夜なんかにそんなこと考えると布団にくるまって「んぎゃー!」ってなる。
そんな時によく先生から言われたことが
「社会に出れば何でも出来るんだから!」
そのときはまぁたしかに…と心の中では思っていたけど「今」を楽しく生きている私に伝わることもなく…
やりたい仕事もないから
とりあえず会社名言ったときにまわりから「おぉ」といわれるとこがいいななんて考えてました。
やりたいことがないのに大学いってもただ遊んで終わりそうと思っていたのでだったらその間お金稼げばいいじゃんと思い、就職を選びました。
そう。THE浅はかです。
そしていざ社会人へ
「なにもできねぇ」
私はそう思いました。
顔の悪さを髪型でフォローしてきた自分にとって、社会人らしい髪形、髪色って言うのは強制的な拷問に感じました。
「あんな河童みたいな髪型できねぇわ~社会人って河童なの?一応皿も載せといたほうがいいいんじゃない?」
とかいって笑ってた記憶があります。
挙句の果てに学校のようにプライベートにまで社会人らしさっていうのが付きまとってくる
厳しくなった学校の延長。
逆に学校のように意見も言えなくなり、明らかにまちがってる人をそれは違うんじゃない?と指摘すると怒られるという謎スパイラルに陥り…
なにこれ社会人って?なにができんのむしろ?
就職したての私には理解できない部分が多く、学生と社会人のギャップにただただ焦ることしかできませんでした
そして現在
できないことは増えたけど一応幸せではあります。
妻と子どもにかこまれて楽しく生きてます。
でもやっぱり社会人らしさを演じることによって自分らしさが失われることは馬鹿くさいなと思うことは変わってないです。
そこは色んな考えがあるからね。実際そういう人を否定するつもりはまったくないよ!そうしなければいけないんだって気持ちも理解してますからね!
ただ最近悲しいのが、昔だったら最後までブレーキを踏まずにふざけきっちゃうことが出来たんだけれども、今はブレーキかけちゃうことかな。
どっかで周りの目を気にしちゃうんだろうね。
いい意味では大人になった。そんな自分も悪くないなってどっかで思っている自分もいるし。
でも、昔みたいに
「うおぉぉぉぉ!!!!!!」
「げひゃひゃひゃひゃ!!!!」
みたいなのはもう出来ないのかな?と考えるちょっぴり悲しい気持ちになります
社会人なって出来ることって学生のときに出来てたことを少しずつ失いながら得ていくものなのかな?っておもいます。
初めて車に乗ったあのどこでもいけるという感動も今はなく、ていうかまず車がないし
学生のころ頑張って見栄はっていってた外食も今は普通にいけてしまう。
自分のしたい髪型、髪色は学生だろうが社会人だろうが、さして周りの目は変わらず。
今は無職を手にしたから、好きなようにさせてもらってるけども、働き始めたらまたぶつくさ言われんだろうなぁ…
学生らしさも、社会人らしさも、できることできない事あるけれども、前提としてその範囲内としての行動に収まらないと周りがだまっとらんよって話なんだよね。
25歳の言うことじゃない!考えが幼いわ!といわれそうだけどやっぱりそういうのはおじさん悲しく感じちゃうわ。
こんなかんじでさーよーなーらー